なぜ、醤油味噌屋が「濁酒(どぶろく)研究所」をはじめるのか?
社長の山本晴一です。当社は1911年創業で、以来、この土地で、醤油&味噌&甘酒の醸造を行って来ました。
現在は「糀パーク」と言う、糀のテーマパークの運営も行っています。
日本の国菌である、“麹菌”を活用して、醤油や味噌を造り続けてきました。
日本の伝統的な発酵食品を食べるという事は、“麹菌”はもちろん、更に、“酵母”や“乳酸菌”という3種類もの菌体を同時に摂取する事が出来るという事です。ここに大きなベネフィットが有ります。
この3種類もの菌が、発酵のプロセスの中で有効に活用して、安全な食品として商品化まで行っているのは、世界中探しても、日本にしかありません!
それは、“味噌”と、“醤油諸味”と、“濁酒(どぶろく)”だけなんです!
3種の活きた菌体を摂れる=“味噌”と“醤油諸味”と“濁酒(どぶろく)”は、世界のスーパーフード(発酵食品)と言っても良いと私自身は考えております。
この活きた菌の世界を垣間見られる場所は、また同時にその味や香りを体感し、その活用方法まで実際に体験できる施設は、金沢の大野町に在る、ここ「糀パーク」です。
当社が創る、「発酵食品」の良さは、自然な旨味と、後味の良さ、発酵による香りの良さだと考えます。当社会員の皆様には、日頃より、「糀パーク」で糀の良さを実感して頂いておりますが、今回は、この「山藤濁酒研究所」を施設の一部として新しく加えますので、是非、糀が持つチカラや魅力をここで、更に実感して頂ければ嬉しく思います。
発酵食と大野町の歴史
ここ大野町の歴史は、奈良時代=今から約1280年前にまで遡ります。
大野町の名前の由来は、産土神(うぶすながみ)を祀る「大野日吉神社」の記録に依れば、荘園時代の「大野荘」に由来すると有ります。
大野町は、南には霊峰「白山」を眺める加賀平野の西の端に位置し、町内を流れる大野川(浅野川の下流域)は、西の「日本海」に注ぐ、港町になります。また、白山とそこから流れる川が作った扇状地の扇端でもあり、白山を源流に地下を通って来た伏流水が「もくもく」と湧き出る、良質な水が得られる土地です。この清洌で豊かな地下水が、しょうゆ醸造の仕込み水として使われてきました。
江戸時代(文化文政時代)においては、人口の多い順に、“お江戸”・“大阪”・“京都”・“加賀百万石(金沢)”だったという事実があり、人口の多い消費地に近い場所に、大きな醤油生産地が形成されました。また、同時に加賀藩が産業としての「しょうゆ醸造」を積極的に振興したおかげで、大野町は、当時(江戸時代)の日本の醤油5大産地(野田・銚子・小豆島・龍野・大野)の一つとも謂われました。
金沢の地は、金沢城を中心に形成された城下町でもあり、当時は“加賀百万石”と謳われた武家文化の伝統が、絢爛豪華な加賀料理を育み、その味覚を支え続けた大野町の醤油も、共に発達して来たという歴史があります。
こうした背景の中で、当社は、金沢ならではの風土に育まれたFOODとして、金沢はもちろん、今では、フランスやアメリカ等、世界13か国に輸出し、世界のシェフにご愛用頂いております。
発酵食品ならではの良さは、「手間暇かけて、更に熟成に時間をかけた」からこそ生まれる、その香りの良さと後味の良さが、御支持いただいておるものと考えます。
さて、私は、『この大野町に、世界中から料理人が集まって来る!』そんな場所にしたという夢を持っています。
と言うのは、発酵食品を学ぶには、日本のどこへ行ったら良いか?とシェフが調べたり、仲間に聞いたりしたら、『そうだ!金沢だ!』”The Home of fermented foods, Kanazawa O-Onomachi” だ!と応える人、そう言う応援をして頂ける方を増やして行きたいと思うのです。
『発酵食のまち 金沢・大野町』として、世界の料理人を魅了する地域として石川県や金沢市と共に、PRしていきたいと考えています。
大野町には、その可能性が充分に有ると思うのです。
それは、当社を育てて頂いた金沢、そしてこの地への、小さな恩返しになれば良いなと心の底から願うからです。